東高野街道を歩く1: 八幡~四条畷

東高野街道は京街道から分岐し、石清水八幡宮のある八幡から高野山へとつながる50kmの街道です。今回はその一番初めのセクションである八幡から四条畷までを歩きたいと思います。残念ながらあまり目立った史跡はなく、ほぼ住宅地なのですが、休日の散歩にはちょうどいい感じです。

東高野街道を歩く1: 八幡から四条畷

八幡

東高野街道が始まるのは石清水八幡宮から。ここで京街道から分岐します。京街道は東海道の延長なので、関東から高野山へ向かう人はこの道を歩いたんでしょうね。

東高野街道はここから河内地域を北から南へ横断し、河内長野で西高野街道と接続して、高野山まで向かいます。

せっかく来たので、石清水八幡宮にも行きたいのですが、神社は山の上にあるんですよね。なので、今回は立ち寄らないで行きたいと思います。石清水八幡宮の一の鳥居前の道を通り、門前町を通り抜けていきます。

右の鳥居を抜けて石清水八幡宮。ここから歩いて30分以上登ります。
三宅安兵衛の碑(右)。八幡には三宅安兵衛と書かれた碑がかなりたくさんあります。
この辺りは街道らしい雰囲気がありますね。

しばらく行くと、車道に出ます。この車道を歩いて南下し、まずは松花堂庭園をめざします。細い道ですが、街道なので裏道として使われており、交通量も多いです。

街道なので、ずーっと真っすぐです。

松花堂庭園

さて、松花堂まで来ました。松花堂は江戸初期に活躍した石清水の寺僧であり文化人でもある松花堂昭乗が江戸時代に晩年を過ごした草庵。もともと石清水の山麓にあったのですが、明治時代になってこの地に移されました。

松花堂といえば、松花堂弁当ですがこの松花堂庭園にあった吉兆が昭和初期に作ったものです。意外と新しいんですね。江戸時代ぐらいのものだと思っていました。

ゆっくりできる庭園です。

園内は広大な庭園で、内園と外園から構成されています。内園には松花堂と呼ばれる草庵もあります。

松花堂庭園。

京都府から大阪府へ

松花堂庭園までは看板が出ていたのですが、このあたりより看板はほぼ全くありません。また住宅地として開発されているので、地蔵や石碑もほぼ全くありません。

地図がないと(もしかしたら地図があっても)結構わかりにくいですね。迷わないように注意です。

そろそろ大阪と京都の県境が近づいてきました。

ここを右折して住宅街を歩きます。
竹藪。県境の峠に向かって坂になっています。

竹藪をでると円福寺。そしてこの辺りが洞ヶ峠で京都と大阪の県境。山城と河内の国境でもあります。羽柴秀吉と明智光秀から加勢を依頼された筒井順慶がこの地から合戦を日和見した地とも言われています。

今では近くに国道一号線が走り、高台になっていることも言われてみればわかる程度。昔はもっと山らしい感じで、京都方面を見る子ことができたんでしょう。

大阪府に入ると大阪府枚方市です。

円福寺。本尊は木造の達磨大師です。

ここからは、国道1号線に沿って行きますが、沿道にはモールやらもあります。この辺りは昔の雰囲気は残ってないようですね。

同じ枚方市でも京街道の方はかなりアピールされているのですが、この東高野街道はあんまりアピールはされていないって感じですね。

『高野道』の番地名は高野街道がここを通るからなんでしょうね。
枚方って家具で有名な町なんですよね。
ずーっと向こうに見えるのは北摂の山々。
国道1号線沿いをしばらく歩きます。

しばらく国道一号線を歩いた後、東高野街道は小さな道へ入って山田池公園へと向かいます。

山田池公園

山田池公園は枚方市で最も大きい公園。京阪沿線では最も有名な公園の1つです。山田池を中心に、周囲2キロほどの遊歩道があり、地元の人が歩いていました。

花壇なども多く、昼ごはんを食べるのに最適なスポットです。野鳥も多いので、バードウォッチングにも素晴らしい場所です。

かなり大きな公園なので、また後日訪問してみたいと思います。

山田池。大きな池です。
周囲は緑に囲まれた美しい公園です。

山田池から郡津

山田池の辺りから少し行くと、出屋敷高野街道。この出屋敷のあたりでは、枚方市では唯一、高野街道の古い町並みが残っています。

出屋敷高野街道
東高野街道の石碑。ここだけ昔の石碑が残っているんでしょうか。

その後は古い町並みは残っておらず、再び府道沿いを歩いていきます。歩道もあるので安心して歩けます。

途中大きな大学だなぁと思った施設は村野浄水場。なんと日本最大の浄水場施設で、近代水道百選にも選ばれているんですよね。

生駒山脈の北端が見えますね。
村野浄水場。まるで大学みたいな大きさです。

交野市に入ると細い道に入って郡津を目指します。この辺りは街道沿いの雰囲気が若干残った細い道を歩く感じです。

結構田舎な雰囲気になってきました。

住宅街を縫って細い道を歩きます。
なんともきれいな道です。
トーマス電車の京阪交野線が来ました!!

踏切を渡ると郡津。京阪電車交野線の郡津駅がすぐ近くです。八幡からちょうど2-3時間て感じでしょうか。四条畷まではあと2時間程度。

郡津から寝屋川東公園

郡津からは天の川を渡り、再び枚方市です。住宅地メインですが、街道の雰囲気が残ろところも少しだけありました。

街道沿いは大師信仰が盛んで、弘法大師を祀る大師堂が多いです。弘法大師も東寺と高野山の行き来の際にはこの東高野街道を歩いたんでしょうか。

星田駅からはJR片町線沿いに歩いていく感じ。片町線沿いは昔はかなり田舎でしたが、今ではだいぶ発展してきました。大阪から近いということもあるんでしょうね。駅前は大きく開発中で高野街道も完全に消えてしまっていました。

本尊掛松。大念仏寺の法明はここに本尊の画像をかけたと言われています。
山根街道との分岐点です。
太子堂

寝屋川市に入ると、沿道には多くの歴史的なものがあります。歴史的なものにはしっかり説明の看板を置いてくれているのはうれしいですね。

ちなみに、看板を持っているのはこの寝屋川出身とされる『鉢かづき姫』。古典の御伽草子にも登場する古いお話に登場する姫です。かぶっているのは帽子ではなく、鉢。鉢をかぶってみたら抜けなくなってしまったっていうお話です。

そんな鉢かづき姫は寝屋の長者と呼ばれる備中守藤原実高の娘でした。

鉢かづき姫。
こんな細い道を抜けていきます。
四辻。ここで奈良伊勢道と合流します。
寝屋川公園。北河内最大の横穴式石室を持つ寝屋古墳もここにあります。

寝屋川公園から四條畷

寝屋川公園までくれば四條畷ももうすぐ。この辺りもかなり住宅地です。

道はまっすぐではなく、何度も曲がるのでなかなかややこしいです。街道なので、もともとこんな感じだったわけではないと思うのですが。

三徳稲荷。お塚だったんでしょうか。
二月堂灯篭。1843年の物
この辺りで清滝街道(奈良につながる道)と交わります。

さて、国道170号線に出てきました。この道を少し行くと四條畷神社の一の鳥居。四條畷は楠木正行(正成の息子)が幕府軍と戦った『四條縄手の戦』の地で、四條畷神社は楠木正行を祀る由緒ある神社です。

ちなみに、四條畷神社のからは三好長慶が城を築いた飯盛山へも行くことができます。四條畷は本当に歴史が深いですね!!

和田賢秀の墓。敵の頭に噛みついて離さなかったので、歯噛さまとも呼ばれます。
奥に行けば四條畷神社。かなり階段を上りますが…

そして、四條畷神社一の鳥居のすぐが四条畷駅です。石清水八幡宮はからは20kmでおよそ6時間ぐらいでしょうか。北河内を横断してきました。なかなか長かったですが、おもしろい散歩でした。

しかし、高野山はまだまだって感じですね。

次回は東高野街道を四条畷から高井田まで歩きますが、この国道170号線に沿って歩いていきます!

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